但馬を平定した羽柴秀長は長秀だった(戦国武将の名前について)
出石城・有子山城が続日本100名城に認定!
おめでとうございます(^.^)
登城したくなって、ウズウズしている日本史が好きな店長、今西康喜です。
そこで、有子山城ゆかりの武将をご紹介!
羽柴秀吉の弟で、但馬を平定した「羽柴秀長」
山名氏の本拠地「有子山城」を落城させ、城主となりました。
その時に配下の「藤堂高虎」が石垣を築いて改修しております。
羽柴秀長といえば、印象に残っているのが「高嶋政伸」さん
NHK大河ドラマ「秀吉」で活躍してましたね~♪
主役の秀吉役は「竹中直人」さん。
鼻水を垂らして「心配ご無用!」の名台詞が懐かしいです。
羽柴秀長の印象は、律儀・真面目・温厚、後年でも天下人である兄に意見が言える人物。
見事に高島政伸さんは、演じていましたね♪
「堺屋太一」さんの原作も良かったと思います。
ちなみに、羽柴秀長は農家の生活で成長し、青年期に秀吉に引っ張られて戦国武将になりました。
なので、農政に熱心だったと思います。
読み書きや兵法なども武将になってから学び、かなり努力したでしょう。
農民から大和大納言に出世!
秀吉の後押しもありますが、凄いですよね。
ゲームの「信長の野望」でも内政でお世話になりました♪
さて、本題!
羽柴秀長は但馬を平定していた時期は、「羽柴長秀」と名乗っていました!
「長」の字は主君である「織田信長」から。
「秀」の字は兄の秀吉から。
信長様の方が秀吉より偉いので、長秀と名乗っていました。
戦国武将って似たような名前が多いのは、このように主君や一族から字を貰っているからなんですよ♪
さて、「本能寺の変」で信長が没し、数年後の後継者争いで羽柴秀吉は信長の三男「織田信孝」と次男「織田信雄」に勝利!
「小牧・長久手の戦い」では、信雄の援軍である「徳川家康」に負けましたが…。
でも、織田家の後継者に勝った秀吉は実力を内外に示したい!
という訳で、弟の名前を「秀長」に変えちゃいました!
織田家より秀吉の方が偉いんだぞ!っと♪
戦国武将の名前は権威も表しているんです。
それ以降「羽柴秀長」の名前が定着しております。
彼の人生については、また別の機会に書きたいと思います♪
「但馬を平定したのは羽柴長秀!」と語ると、「おっ!日本史に詳しいね!」っと話が盛り上がりますので、ぜひ使ってみてくださいね♪
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私の名前「今西康喜」の「康」は初代将軍の徳川家康から、「喜」は最後の将軍徳川慶喜から。
勝手に徳川家ゆかりの名前だと思ってます(笑)
尊敬する武将は、やはり「徳川家康公」!
そんな店長がボイルした「香住ガニ」と「カニホタル」が味わえるのは、5月末までです。
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今西食品ネット通販
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先日、「ジオパークと海の文化館」の藤原館長に玄さん武将カンバッチをいただきました~(^o^)/
但馬を守る玄さん、渋いです♪
ちなみに、後ろの家紋は山名家!
藤原館長も日本史好き❤
日本海の歴史も学べる「ジオパークと海の文化館」に行くと、いい事がありますよ~(^o^)/